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コラム

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マインドフルネス

「夜と霧」人生はあなたに何を期待しているか?(前編) 

あなたは今長い列に並んでいる。

列の前方にいる男が人差し指を右に左に向けている。

列に並んでいる人間はその指が示す通り右と左にグループ分けされていく。

あなたはそのグループ分けの意味を知らない。

これから何が起こるかも分からない。

あなたは、右のグループに振り分けられ、多くの友達は左のグループに振り分けられた。

友達と挨拶する間もなく、2つのグループは別々の方向に移動した。

あなたが属する右のグループは、これから極寒の中重労働をさせられる。

そしてあなたの友達の左のグループは、ガス室へと送り込まれることになる。

あなたは2度と先ほどまで一緒だった友達とは生きて会うことは叶わない。

これは、「夜と霧」に描写されている第二次世界大戦中の強制収容所の出来事です。「夜と霧」は、ユダヤ人の心理学者ヴィクトール・フランクル(V・フランクル)が著した第二次世界大戦中の強制収容所の体験記です。極めて劣悪な環境で、いかに絶望から希望を見出し、いかに生き残ったのかが「夜と霧」には書かれています。

コロナ禍になり約1年半が経過しました。オリンピックが開催されていた頃には数千人だった感染者数もだいぶ落ち着いてきました。

私たちはこのコロナ禍で何を学んでいるのでしょうか。
私たちはこの困難な状況からどのように生きていけば良いのでしょうか。

そのことを考える上で参考になると思い、名著「夜と霧」をご紹介したいと思います。描かれる「精神的な自由」「人間の強さとしなやかさ」「生きることを選ぶ態度」には、感動を覚えます。3つのエピソードを通じて困難な状況を生き抜くヒントを見出していきたいと思います。

今日を生きられるかどうか

強制収容所では、明日にはガス室に送り込まれ今日1日を生きながらえるか分からないという状況で、排泄設備も整わない垂れ流しの宿舎で縦2mx幅2.5mの板敷に9人の大人が毛布2枚で体を擦り寄せながら幾夜も過ごし、食べるものもろくに与えられず、6ヶ月以上擦り切れた同じシャツを身につけ、寒さに爛れ凍えた足を痛みに耐えながらボロボロの靴に通し、引きずるように歩き、地面を掘ったり壁を作ったりする重労働を強いられました。歯向かえば監視官に殴られ、病気になっても適切な救命処置はなされず、体力がなくなり動くことができなくなればガス室へと送り込まれました。

想像するだけでも生きた心地がしません。というより、体験をしたことがないものにとって、このような状況をありのままに想像することは不可能なのかもしれません。実際に、多くの当事者たちが「収容所にいたことのないものに、わかってもらえるように話すのは、到底無理なことだ」と述べています。

そのような難題をV・フランクルは引き受け、この「夜と霧」を著しました。なぜなら、それが心理学者としての勤めであり、この過酷な状況で彼が見つけた「人生が自分に期待すること」だったからです。V・フランクルは強制収容所に入る前、「人はどのような状況においても自らがどう生きるかを選ぶことができる」と主張していました。「夜と霧」はそのことを強制収容所の中で自らの体と心で証明した体験記と言えるでしょう。肉体的な自由が奪われる中でも「精神的な自由」は存在していたとV・フランクルは述べています。

V・フランクルは、いかに生き延びたのかを語る前に、極めて厳しい環境の中で、人の心はどのように変化していくかを心理学者として2段階に分けて分析しています。

第一段階は、自分の今までの人生をすべてなかったものにする。
第二段階は、感情が消失する。

第一段:自分の今までの人生をすべてなかったものにする

ある収容所に着くと、まずやらされることは、文字通り身ぐるみ剥がされるということでした。結婚指輪、大切なお守り、形見の品、愛する人の写真が収まったロケットなど、身につけていたものは全て奪われました。V・フランクルは、作成途中の学術書の原稿を取り上げられてしまいました。ライフワークとしていつか世に出すために精力を傾け書き溜めてきた原稿ゆえ、懇願するも叶わず、あざけりの言葉とともに一蹴されてしまいました。

衣服を脱がされ体中の毛も剃り上げられ、全てを取り上げられた今、残されたものは自分の体1つでした。「文字どおり裸の存在以上のなにものも所有していない」と表現しています。人間としての尊厳は酷く貶められ、今までの人生を否定され、収容された人々は「自分の今までの人生をなかったこと」として捉えるようになりました。今までの人生との目に見える絆が無くなりゆく中で、そのように現実を捉えなければ、自分が置かれた現状を受け入れることができなかったということなのかもしれません。

第二段階:感情が消失する

劇的な環境の変化にショックを受け激しい感情的反応が現れるのは数日程度で、被収容者たちは内なる感情を抹殺するようになっていきました。V・フランクルは、「内面がじわじわと死んでいった」と表現しています。例えば、熱を出し、期限内に病気の届を出さなかったために、仲間が地べたに殴り倒されているのを見ても、目を逸らすことなく、無関心に何も感じずに眺められるようになっていきました。

収容所の中では、多くの死者が出ました。その中には自ら命を経つことを選ぶことも少なくなかったようです。寝床に横たわる死者を目の前にして、どのような気持ちが湧いてくるのでしょうか。

ある日のこと、昨日まで一緒に働いていた仲間が息を引き取りました。すると、一人また一人とまだあたたかい死体に近づきていきました。それは仲間を弔うためではありませんでした。ある者はその死体が身につけていた上着を自分のものと取り替え、ある者は食べかけの泥だらけのじゃがいもを奪い取り、ある者は靴ひもを奪い取ったそうです。そして、その死体が収容所の外に運ばれ、窓越しにその死体と視線が合いながら、「2時間前まで話をしていたにも関わらず何も感じることなくスープを啜った」と書かれています。

極限の状態において、人の感情は鈍化していくことが生々しく描かれています。そうすることで自分の心を守っているのかもしれません。「感情の消失は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだった」「すべての感情生活はたった一つの課題に集中した。つまり、ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに。」と書かれています。

このように心は2段階に分かれて変化をしていく中で、多くの人の命が絶たれていきました。一方でそのような厳しい状況の中でも生きながらえた人たちもいました。生死を分けたのはいったい何だったのでしょうか。次回のコラムでは、著作の中で紹介されている3つのエピソードから、「感動」「愛」「感動」「意味」をキーワードに精神の自由、人の心の逞しさについて紐解いていきたいと思います。

次号のコンテンツ「心の中で愛する妻と対話する」「沈む夕陽の美しさに感動する」「生きる意味を問う」

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